2021年1月22日

ネットでの言葉遣いについて。ある記事に「この記事ではAという呼び方をしているその現象は、古典的にBという名前がついている。今後その現象で困った人がBという単語を知らないままとなって困るからオレオレ単語を使わないで欲しい」みたいなコメントがついた。直感的にはAという単語のほうがわかりやすいのと、やや攻撃的ともとれるコメントに反発が生じている。

これ、コメントをした人は「その現象にはBという名前を知ってほしい」というのが目的だったはずが、その目的を達成できていない。その人へのコメントにもあるが、「オレオレ単語をやめろ」という言い方ではなく「その現象には古典的にBという名前がついているので、記事に「これはBという呼ばれ方もしています」と追記してください」といえば、「ありがとうございます」で終わった話だったはず。

これ、(もちろんネット以外でも普遍的にあるんだろうけど)ネットでよく観測される。なにか世の中で誤解されているAという事象がある。これを苦々しく思う人が啓蒙活動をする。彼らの本来の目的は「世の中からAという誤解をなくすこと」のはずが、だんだん「Aという誤解をしている人は悪だ」という思考にすり替わる。最終的に「Aという誤解をしている人を糾弾すること」が目的化し、糾弾された人からはヘイトを稼ぐし、それを見ていた周りの人からは「この話題はアンタッチャブルだ(話題にすると『警察』が来る)」と認識するようになる。糾弾側の観測範囲からは「Aという誤解」は消えていくのかもしれないが、結局(その人にとって)地下に潜るだけで、あまり解決になっていない。

いや、だからどうしたと言われても困るんだけど、こういう手段と目的の逆転はよくあって、結局当初の目的は果たせない上にヘイトばかり稼ぐのを見てると悲しくなる。折に触れて啓蒙記事を書くとか、もうちょっと生産的な方法はとれないのかな、と思う。

「ゼロから学ぶPythonプログラミング」の正誤表作った。Pandocのテーブルの扱いがよくわからず、手間取ってしまった。ある程度以上大きなテーブルについては、自動で幅を計算してくれるらしいのだが、そのアルゴリズムがよくわからない。

佐々さんの「熱力学入門」を10冊(!)注文した。

物理情報工学特別講義の準備を進めた。