ネットに講義ノートを無償公開することを批判する意見を見つけた。曰く「知にたいして労働力の対価を求めるべき。社会がその対価を正しく意識すべき」。
その、「知」にたいして正しく対価を払う、という趣旨には全く同意なんだけれど、それと「講義ノートを無償公開するのはよくない」というのはちょっと違う気がする。
原理原則を言えば、勤務時間中に仕事として作成したものは、雇い主に権利がある。講義ノートが大学の仕事として勤務時間中に作られたものである以上、これは職務著作物となる可能性がある。しかし慣例として、研究者が作成した論文や講義ノートなどの著作物は職務著作物にあたらないことになっている。
「講義ノートは大学で授業料を支払った学生のためのものである」という主張は、「講義ノートは職務著作物である」という意見に近いように思う。であるなら、著作権の原始的帰属は大学にあるから、無償公開どころか出版して印税収入を得るのはまずい。
「講義ノートの著作権は自分にあるが、授業料を払った学生のために作ったのだから無償公開はすべきでない」という意見なら、それをたかだか数千円の本として一般向けに出版するのは主張に一貫性がないように思う。
「知の探求には労力がかかるのであり、その取得には正当な対価を支払うべき」という意見には完全に賛同する。「その対価として書籍を購入せよ」という意見には(賛同はしないが)納得する。しかし、「講義ノートは大学で授業料を支払った学生のためのものであるから無償公開はよくないが、出版はする」という意見には一貫性は見いだせない。
講義ノートの問題は、実は教科書としての出版だけにとどまらない。昨今のオンライン講義の発展により、e-ラーニング教材としての利用をする際、著作権をどうするか、という問題が出てくるからだ。MITなどは講義を無償公開しているが、これを大学が「社会人向けのe-ラーニングコース」として有償提供する際、その対価を研究者がどう受け取るべきか、ややこしいことになる。
「授業料を払った学生のために講義をする」という理屈であるなら、すでに録画された講義を、お金を払った人に公開しても良さそうに見える。では、もともと給料をもらって大学の講義をしているのであるが、その講義を外に「売る」時に、教員はさらにお金をもらえるのか?もらうべきか?もらうとしたらどれくらいの割合なのか?また、講義に問題があった場合、法的責任はどちらが取るのか?解決すべき問題は多い。
LJ_SIMDのコードを整理するところまで。富岳のレポートを書くところまでいかなかった。