2018年11月5日

とあるプログラムを完成させた。

 ようやく英文教科書のコメントを読み始める。コメントが多く、簡単には修正できなそう。 よく見たらLaTeXソースがなかったので送ってもらうように頼んで見る。

 SNSを少し控えようと思う。

 「自分の博士課程は失敗だった」というブログを見た。研究者になれなかった、という意味で失敗だったと書いているが、ちゃんと就職できており、逆にそういう自信もあって、「失敗だった」と振り返っているのだと思う。 そういう意味で「本当に全く失敗だった」とは思っていないんだと思うが、それでも読んでいて胸が苦しくなった。

 自分の博士課程を振り返るに、「成功だった」と胸をはることはできない。学振も取れていないし、論文ももっと書けたはず。「自分はがんばった」と言い切ることはできる。しかし、その「がんばった」には研究以外も含まれている。 もし就職できていなかったら、「研究以外」に手をつけた時間を悔いるだろう。 しかし、その「研究以外」には、例えば未踏も含まれるわけで、やっぱり自分を構成する重要なファクターだったのだと思う。そのあたり、割り切れない思いがあり、言語化が難しい。

 研究がうまくいかないとき、研究以外のことで「がんばった感」を得ようとする気持ち、すごくよく分かる。 そして、しばらくしてから振り返って「あぁ、もっと研究に時間をかければよかった」と後悔する気持ちも。 でも、研究以外のこともやっぱり重要なんだ。それが研究につながるから、ということもあるけれど、 「やりたいことをやるのであり、やりたいことの大部分が研究と重なっている」状態が望ましい。 もし「やりたいこと」と「研究」の重なりが小さい時に、「やりたいこと」を「研究」に寄せようとするとすごく苦しくなる。