なんか日記をつけ始めてから、やっぱり意識がはっきりする気がしてきたな。なんとなく流れていった日常が、ちゃんと意味を持つようになったというか。
学生さんの要望でディスプレイ買ったら、他にも使いたいという学生さんが出てきたのでType-CとHDMIをつなぐアダプタ購入。もともとプロジェクターにつなぐ用途しか考えてなかったので、一つしかいらないと思っていた。本当なら学生さんそれぞれに大きなディスプレイを買ってあげたい。
ネットで「アンチの生き方」みたいな記事をみた。なぜ、ある人はアンチになったかのドキュメンタリーのようなもの。ある人が書いた記事にたいして、ふとアンチなコメントを書いたら、他のアンチから褒められたらしい。これまで褒められることが少なかったその人は、その快感でどんどんアンチ活動を進めていくことになる。アンチ同士がお互いに褒め合うので、自分が間違っていることをしているとは思わなかったらしい。「その人はクズであり、酷評されてしかるべき人間であり、その人間がいるから自分は不幸なのだ、被害者なのだ」と。
やがて、自分を褒めてくれるアンチ仲間から見捨てられるのが怖くなり、なかば義務的にアンチ活動をするようになる。すると、「嫌い」であるにも関わらず、その人の一挙手一投足を観察しなければならなくなる。自分が嫌いだと思っている人が楽しそうにゲームをする、それだけで憂鬱になるという。
アンチ活動とは、ようする「自分の幸せの基準を他人に置く」ことにほかならない。「嫌なら見なければよいのに」と僕は思う。でも、わざわざ「自分にとって嫌な発言をする人の情報発信を細かくチェックする」人が多い。「間違いなく自分にとって嫌なことが書いてある」という予測が「当たる」ことによる報酬が快感になる、「自分が知らないところで嫌な情報が流れるのが嫌だ(部屋のどこかに蜂がいる)」、「自分が人を嫌うという(自分でもあまり良くないと感じている)感情を持っている時、その感情を正当化するための材料を探す」などいろいろな説がある。「自分にとって嫌だと思う情報がある可能性が高い」とわかっていて見に行ってしまう感情は僕にもわかる。僕は「はてブ」コメントは嫌いで、PCからは見られないようにしているが、たまにスマホで見に行ってしまう。「確かに自分にとって嫌なコメントがある」と確認したい感情なのだろう。
bashでgitのブランチ名を取得。まずはgit-promptをコピー
wget https://raw.githubusercontent.com/git/git/master/contrib/completion/git-prompt.sh
.bashrcに以下を追加。
source ~/git-prompt.sh
export PS1='[\u@\h \W$(__git_ps1 " (%s)")]\$ '
これでプロンプトにブランチ名が出る。bashでctrl+pで部分一致検索ができなくてzshを使ってたんだけど、普通にCtrl+Rで良いな。
あるマシンを使おうとしたらメンテ中。CMP-MLのブログ/Twitterをなんとかしようと重い腰を上げたが、物性研VPNのワンタイムパスワードが古いスマホ。なぜかリカバリコードが無効でログインできず。古いスマホを起動するしかない。なんかやろうと思ったことがことごとくできなくてストレス。
A64fxのアセンブリのお勉強。ld1dとかflmaみたいなSVE命令をググると極めて限られた人のブログしかひっかからない。