2026年4月
04月11日(土)
会議。
引っ越してから水道料金の支払いをずっとYahoo公金支払いにしてたのだが、それがしばらく前に廃止されてしまったので、請求書をコンビニで支払っていた。Yahoo公金支払いの代替として自治体独自アプリが用意されており、それを使うとクレジットカード払いができるのだが、何回やっても登録に失敗する。電話番号の登録がおかしいと言われるのだが、一回試すたびに審査結果が返ってくるのが3営業日後とかなのでやる気をなくしてしまう。
で、前回はPayPayで支払ったのだが、今回、「そういえば金融機関自動引き落とし絶対できるはずだよな」と調べたらウェブ申し込みから一瞬でできた。金融機関の承認は金融機関アプリのワンタイムパスワードを使う。とにかく、これで懸案事項だったら水道料金の支払いの自動化ができた。
便利といえば便利なのだが、なんかスマホ前提の社会になっていって、少しだけ息苦しさを感じる。
スマホと言えば、このまえスシローに行ったらスシローではもう寿司が回らなくなっていた。で、大きなパネルで注文するのだが、スマホからでも注文できる。
スシローは単にブラウザアプリだったから良いが、LINE経由の注文を要求する店が増えており、心理的に抵抗がある。
解析力学の教科書が重版。3刷とのこと。正直売れないと思っていたので驚いた。
04月10日(金)
学科ネットワークマニュアル作成。Google Documentについたコメント、絵文字リアクションで「おじぎ」マークをつけてから「完了」にしてたんだけど、これ、完了にしたら絵文字リアクションが消えちゃうのか。なんか無言でコメント全部消す失礼なおじさんになってた。すみません。
研究室メンバー追加にともない、写真や名簿の整理。
解析力学の教科書の正誤表修正。誤植大杉。
なんかTodoをつぶしてもつぶしても増えるというか、普通にメールの処理速度よりもメールが積まれる速度の方が早くていろいろ破綻しているんだが。
新任PIのための研究室運営ガイドを書いた・・・が、なんで書こうと思ったかは忘れた・・・
04月09日(木)
研究室サーバの計算ノードが死んだ。ログインに死ぬほど時間がかかる。しかし、topでも特に重い処理は走っていない。
do_ypcall: clnt_call: RPC: Unable to receive; errno = ホストへの経路がありませんというエラーが頻出。どうもNISが通っていないらしい。計算ノードも無事なはずのyagami03も接続できない。
いろいろ試したがどうにもならないので、まずはログインノードを再起動してみる。
なんかすっかりSEみたいな仕事をしてるんだが、理事ってこんなだっけ?
スパコンハンズオン・・・をしようとしたら、計算ノードが死んでいた。うーむ。
研究室ミーティング。どちらも博士の学生さんにより「very interesting」と評価。素晴らしい。
眠くて死んでしまう。
04月08日(水)
とてもたくさんのTODOをつぶした。
有名なウェブ小説を原作としたアニメがあって、そのアニメがとてもひどかった。キャラデザもストーリーも良いのに、なんか作画がおかしく、場面転換とかにどうにも違和感が残る。「うーん」と思っていたのだが、第二期がスタート。見てみたが、やっぱり「うーん」。
04月07日(火)
いろいろ。
04月06日(月)
会議。
科研費の交付申請書(D-2-1)、および支払請求書(D-4-1)を作成、提出した。科研費が採択されたのは本当にありがたい。
神戸チームのFSの成果報告書が届いた。真面目に読む必要がある。まだ青関口も読み切れてない。がんばらないと。
大量のメール処理。
パスキーについてちゃんとわかっていない気がする。調べておかないと。
04月05日(日)
NOP
04月04日(土)
なんかとある分野の教科書について話題になっていた。全てに言えることだが単に「Not for me」であるものを、分野全体の話であるかのように話すのは微妙だよね、という話。
まぁ、気に入った教科書がなければ自分で書くしかない。
04月03日(金)
物性研スパコンの投入権延長+新メンバー追加した。
物性研の発表についてウェブサイトに追加。
昨日は会議のあとすぐ出張し、家についたのは22:30。
で、今日も朝からバタバタしていて、夕方になって、さて家に帰る前にメール処理するかと思ったら、緊急のメール審議があって僕で案件がブロックされていた。うげぇ。すみません。
04月02日(木)
会議の後、物性研へ。遠い・・・
物性研についたのは5時。ポスターセッションの途中で参加。いろんな人と話す。
物性研に参加登録した記憶があるのだが、参加登録されてなかった。確認画面だけ見て満足しちゃったかな?
懇親会でexplainable AI、というかAIの解釈可能性について話題になった。
何かを理解する、というのは結局のところ人間がどこで満足するかであり、それはAIによって変わるのではないか?つまり、AIの解釈可能性というのは、老人の感傷に過ぎないのでは?
これについてうまく回答できなかったのだが、その後考えた。我々はなんらかの機能が発現している時に、その「理由」を知りたい。ではどういう状態になったら「知った」ことになるのか。「わかった」ことになるのか。
例えば我々は写真を見て、それがネコかイヌかは判定できる。しかし、「どこを見てそう判断したか」は説明できない。これを、ネコとイヌの写真の分類器を作り、その分類ができるという機能が発現した時、その機能のブレークダウンをできるか?AIはどこに注目しているか?実はサブタスクに分解されていないか?それはどうやったらわかるか?
そしてそれらがわかった時、我々は「ネコとイヌの分類」というタスクについて何か知識が増えたことになるのか?
うーん、もう少し考えないと駄目だな。
04月01日(水)
4月になった。大学院の主任の最初のお仕事としてガイダンスで挨拶。
今年度は研究頑張るぞ!と意気込んでいたが、なんかお腹が痛くてテンション下がる。
恐ろしく重いタスクを一つ片付けた。しかし、これがさらに重いタスクを呼ぶことになると、この時の私には容易に想像可能なのであった・・・
なんだかんだ主任の仕事がある。
物理学会の理事に、父の教え子さんがいたらしい・・・が、話せないまま一年が過ぎて、その方は交代してしまった(理事は2年任期半数交代のleapfrog方式)。